見せかけのパラレル本質のエピック

見せかけのパラレル本質のエピック

「ナルニア国物語」はクライブ・ステープルズ・ルイスが書いた7巻もののファンタジー小説です。出版は1950年から1956年。分類で言うならば、大きく言えばパラレル・ファンタジーの形式をとってますけど、本質的には叙事詩的ファンタジーですね。叙事詩的ファンタジーとは、指輪物語みたいな、善と悪との戦いをテーマに据えた壮大なファンタジーです。大体、神話的なモチーフとか出てきます。完全に別世界を創造しちゃってることが多いです。「ナルニア国物語」は「馬と少年」をのぞいて、主人公は常に普通の世界(私たちのいるこの世界です。イギリス人ですけどね)の少年少女で、彼らが何らかの理由でナルニアに呼ばれ、ナルニアの危機を救うので、見た目としてはパラレル・ファンタジーなんですけど、現実世界でより強く生きていくためにナルニアで強くなっているわけではないので、叙事詩的ファンタジーに分類するほうが正しいと私は思います。

いや、もちろん少年少女は成長するんですよ。「ライオンと魔女」のエドマンドはナルニアでの裏切り、アスランの死と復活などを経てましな子どもになりますし、「朝びらき丸 東の海へ」(映画のタイトルは「アスラン王と魔法の島」でしたね。これ、朝びらき丸だとださかったからこうしたんでしょうけど、なんか間違ってる気がします…)のユースチスもドラゴンになった後はだいぶいい子になります。ユースチスはいい子になったために「銀の椅子」ではいじめられっ子にまわりますけど、しかしそういう現実に耐えるために成長したわけではないですからね。というか、日本人だと「え?マジで?え?」と思ってしまうシリーズ最後のオチを考えてみても、絶対にこれは子どもの成長とかそういうスケールの話ではありません。個人の幸福とかそういうことじゃないんですよ。なので、叙事詩体ファンタジーにあたると思われます。善と悪は常に対立し、善が勝ちますからね。ルイスがキリスト教徒だったことが色濃く反映されています。って話は今さらですけど。

キリスト教色が強すぎるのと、なんでもかんでもごった煮で登場させすぎ、という人はいますが、それでもすばらしいファンタジーだと私は思います。学ぶものは多いですよ、この作品。今さらいうまでもないですけれども。一生に一度は七冊全部読破したい作品です。

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意外と多い携帯の置き忘れ…。

今では携帯を持つ事をすっかり止め、恋人の携帯を一緒に使っています。

恋人と私はいつも一緒に行動する事が多い為、連絡を取り合う必要はありません。

また連絡を行う相手も特に居ないので、携帯は特に必要ではありません。

わざわざお互いが携帯を持つと、それだけでお金がかかってしまいます。

節約の為にも1台を二人で使うようにしています。

しかし二人で1台しか携帯を持っていないと言う事は、どちらかが携帯を落としてしまうと大変な事になります。

出掛ける際には、必ずどちらかが携帯を持って出掛けます。

たまに無意識の状態で携帯を持っていると、どちらが持っていたのか忘れる事があります。

その結果、一ヶ月に一度はどこかに忘れて来てしまう事があります。

一番携帯を忘れてしまう場所はパチンコ店などです。

私はパチンコ中にセグやデータを見る事はありません。

しかし恋人は常に携帯と睨めっこをしています。

そしてそのまま睨めっこしていた携帯を、台などにそのまま置き忘れて来る事があります。

パチンコ店に行った日は、スグに恋人が忘れて来たと気付く事が出来ます。

しかしお買い物へ行った時などにはいつも困っています。

いつも通り車で買い物に出掛け、家に帰ると携帯が無いのです。

どこで無くしたと言う事を考える前にまず、どちらが持っていたかが重要になります。

私と恋人はお買い物に出掛ける際には、必ず分担してお買い物をします。

私は野菜コーナーで必要な野菜を揃えたり、恋人はビールやコーヒーなどの飲み物を集めたりと…。

それぞれ自分が歩いている場所が全く違うのです。

効率良く探す為にいつもお互いで確認をしますが…。

体外は私が持っていた事が多かったと思います(^^;)

しかし自分では持っていた記憶が一切無く、どこで落としたなどかも全く判りません。

スーパーのレジで置き忘れていた事も何度もありました。

車のイスに挟まっていた事も何度もありました。

普段からあまり鳴る事の無い恋人の携帯は、本当に存在感の無い携帯だと思いますね。

今ではスマートフォンなどが流行しているので、機種変更を考えていますが…。

こんなに失くしてしまう事が多いと、何だか買い換えるのも怖くなってしまいます。

とりあえず今は目印になるようなストラップでも付けようかと思っています。


2012 見せかけのパラレル本質のエピック